空白の時間としての眠り
眠っているときの生産活動は、ないのも同然です。
時間の価値の高さで判断すれば、生産性のない時間は無意味でありましょう。
また、眠りは意識レベルの低い状態ですから、眠っていることを明瞭に自覚したり、睡眠中のできごとを正確に記億したりはしません。
それゆえに、眠りは空白の時間だ、とみなされることがあります。
そんなことから、睡眠をいわば必要悪か、無用の長物だとみなされるわけです。
そして、眠るのは怠けることだと短絡されるはめになるのです。
寝る間も惜しんで励みたい人にとって、1日の3分の1を寝てすごすのは、時間の浪費とみなすのはとうぜんかもしれません。
むかしからたくさんの人が、眠りに費やす時間を切り詰め、仕事や学業にまじめに努力したのも、むりからぬことです。
それはそれなりに成果の上がったことでしょう。
しかし、睡魔と闘い、高級 羽毛 布団の寝床の誘惑に打ち勝ち、しかも心身の健康を維持するためには、たいへんな労力を払わなければならなかったはずです。
単純に計算すれば、機械みたいに休まずはたらくと、生産性は上がるでしょう。
しかし、生き物には活動と休息のリズムが生まれつき体内にセットされています。
生体は連続して活動できるようには、設計されていません。
睡眠時間を犠牲にするのは、容易なことではないのです。
むりしてはたらけば、そのひずみはストレスとなってはねかえってくるはずです。